2016-04-05 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第13号
その際に、徳永正利という先生、後の第十四代参議院議長であられますが、この方の大変な御尽力があったわけであります。徳永先生は、海軍通信学校を卒業されて、海軍中尉で終戦、戦後は日本遺族会に入り事務局長となっておりますが、その後は参議院議員に転じ、当時は法案を所管する厚生省の政務次官であったというふうにお聞きをいたしております。
その際に、徳永正利という先生、後の第十四代参議院議長であられますが、この方の大変な御尽力があったわけであります。徳永先生は、海軍通信学校を卒業されて、海軍中尉で終戦、戦後は日本遺族会に入り事務局長となっておりますが、その後は参議院議員に転じ、当時は法案を所管する厚生省の政務次官であったというふうにお聞きをいたしております。
○荒井(広)委員 私は、この分野のみならず多大に御貢献された今は亡き徳永正利先生の秘書をやっておりまして、サイパン島にも伺ってまいりました。戦後五十年、そしてこれから一年、二年、そして五十年があるわけでございます。先ほど局長からもお話ありましたが、大臣のリーダーシップで随分中国の残留邦人の問題も進んでいる、こういうことでございますけれども、これからということもございます。
平成二年十月十二日 第百十九回国会 参議院会議録第一号 平成二年十月十二日(金曜日) 午前十時三分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第一号 平成二年十月十二日 午前十時開議 第一 議席の指定 第二 会期の件 第三 国務大臣の演説に関する件 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 一、新議員の紹介 一、元本院議長徳永正利君逝去
○議長(土屋義彦君) 元本院議長徳永正利君は、去る九月二十三日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、議長は、既に弔詞をささげました。 ここにその弔詞を朗読いたします。
次に、元本院議長徳永正利君逝去につき哀悼の件でございます。議長から、既に弔詞をささげました旨御報告の後、弔詞を朗読されます。その際、一同御起立をお願いいたします。 次に、議員宮田輝君逝去につき哀悼の件でございます。議長から、既に弔詞をささげました旨御報告の後、弔詞を朗読されます。その際、一同御起立をお願いいたします。次いで、一井淳治君から哀悼演説がございます。
最後に、今期国会の議事の終了と半数の議員が任期満了となることにつきまして議長からごあいさつがあり、七月九日任期満了の議員を代表して徳永正利君からごあいさつがございます。 以上をもちまして議事を終了いたします。その所要時間は約一時間四十分の見込みでございます。
委員長 塩出 啓典君 理 事 下稲葉耕吉君 鈴木 省吾君 猪熊 重二君 橋本 敦君 委 員 工藤万砂美君 徳永 正利君 中西 一郎君
○徳永正利君 僭越でございますが、今回任期を満了する議員を代表いたしまして、一言お礼のごあいさつを申し上げます。 ただいまは土屋議長より私どもに対し御丁重なごあいさつをいただき、まことにありがとうございました。 私たちは、今日まで本院議員として使命達成のため微力を尽くしてまいりました。
————————————— 委員氏名 委員長 塩出 啓典君 理 事 下稲葉耕吉君 理 事 鈴木 省吾君 理 事 猪熊 重二君 理 事 諫山 博君 梶木 又三君 工藤万砂美君 徳永 正利
昭和六十三年十二月二十七日(火曜日) 午前十時二十六分開会 ───────────── 委員の異動 十二月二十一日 辞任 補欠選任 岡野 裕君 藤田 正明君 高橋 清孝君 梶木 又三君 永田 良雄君 中村 太郎君 二木 秀夫君 林 ゆう君 堀内 俊夫君 徳永 正利君
補欠選任 吉井 英勝君 神谷信之助君 十二月十四日 辞任 補欠選任 本岡 昭次君 久保 亘君 神谷信之助君 吉井 英勝君 十二月十五日 辞任 補欠選任 久保 亘君 本岡 昭次君 十二月十九日 辞任 補欠選任 堀内 俊夫君 徳永 正利
辞任 補欠選任 諫山 博君 橋本 敦君 十二月十五日 辞任 補欠選任 秋山 長造君 一井 淳治君 十二月十六日 辞任 補欠選任 一井 淳治君 秋山 長造君 橋本 敦君 諫山 博君 十二月十九日 辞任 補欠選任 徳永 正利
委員長 塩出 啓典君 理 事 下稲葉耕吉君 鈴木 省吾君 猪熊 重二君 諫山 博君 委 員 工藤万砂美君 徳永 正利君 中西 一郎君
昭和六十三年八月三日(水曜日) 午後二時十五分開会 ───────────── 委員氏名 委員長 小笠原貞子君 理 事 岡田 広君 理 事 森田 重郎君 木村 睦男君 沢田 一精君 志村 愛子君 徳永 正利
───────────── 委員氏名 委員長 三木 忠雄君 理 事 工藤万砂美君 理 事 鈴木 省吾君 理 事 猪熊 重二君 梶木 又三君 下稲葉耕吉君 土屋 義彦君 徳永 正利
三木 忠雄君 理 事 工藤万砂美君 鈴木 省吾君 猪熊 重二君 橋本 敦君 委 員 梶木 又三君 下稲葉耕吉君 土屋 義彦君 徳永 正利
委員長 三木 忠雄君 理 事 工藤万砂美君 鈴木 省吾君 猪熊 重二君 橋本 敦君 委 員 下稲葉耕吉君 徳永 正利君 中西 一郎君
私ずっと歴代のどの運輸大臣からこの工事が始まったかを調べてみますと、昭和四十七年の新谷寅三郎大臣のときに始まりまして、約十一億の工事、同じく徳永正利大臣のときにその十一億の工事が続き、江藤智運輸大臣のときで四十八年三十五億、木村睦男運輸大臣のときに四十九年に三十五億、石田博英運輸大臣のときに五十年に五十六億、田村元運輸大臣のときに五十一年に三十億、福永健司運輸大臣のときに五十二年に五十五億、五十三年森山欽司運輸大臣
委員長 三木 忠雄君 理 事 工藤万砂美君 鈴木 省吾君 猪熊 重二君 橋本 敦君 委 員 下稲葉耕吉君 徳永 正利君 中西 一郎君
委員長 三木 忠雄君 理 事 工藤万砂美君 鈴木 省吾君 猪熊 重二君 橋本 敦君 委 員 梶木 又三君 下稲葉耕吉君 徳永 正利君
鈴木 貞敏君 世耕 政隆君 関口 恵造君 曽根田郁夫君 添田増太郎君 田沢 智治君 田代由紀男君 田中 正巳君 田辺 哲夫君 高橋 清孝君 高平 公友君 竹山 裕君 谷川 寛三君 土屋 義彦君 坪井 一宇君 出口 廣光君 寺内 弘子君 徳永 正利